断薬に期待しすぎたこと

 減薬開始当初、「向精神薬は恐ろしい。だから1日でも早く薬を抜かなければ。」という焦る気持ちから減薬を急いでしまい、1度失敗したことはお話した通りです。

 その後は慎重に「16分の1ずつ」を厳守し減らしていきました。しかし減薬指導の医師から 「今までに向精神薬をこれだけ飲んできた娘さんは、両親よりも早や死にします。」と言われ、大変なショックを受け、娘が不憫でならず、何としてでも薬を抜いてやりたいと再び強く思うようになりました。ですから速い減薬ペースでも受け入れ、禁断症状にも耐えさせ、辛かろうがサウナにも入れました。専門クリニックなので、確かな方法論があるのだろうと信頼しお任せしました。

 

 また初診時に主治医から「ジプレキサを抜くと認知症のようになります。」とも言われました。しかし(恐らく一過性のものなので、じきに元に戻るのだろう)と思い込んでいました。「精神科医療は殺人だ」と断じている医師が、(まさか患者に後遺症を負わせるような馬鹿なことはすまい)と信じ切っていたからです。また薬が体内に残っているから悪さをするのであって、「断薬さえできれば」「薬が体から抜けさえすれば」楽になるのだろう。だからこそ一時期、認知症になっても、薬を抜くことが優先されるのだろう、と思ってしまったわけです。

 

 普段の私ならば、疑問があればすぐに質問をするのですが、その医師には質問出来るような雰囲気は全くなく、訊くことが出来ませんでした。

「どうして認知症になるのか」「どういう状態になるのか」「いつまで続くのか」 「認知症にならない減薬法はないのか」「もし認知障害になった場合、治療法はあるのか」「ただでさえ薬害で短くなるであろう人生を、認知症にして過ごさせることに、何か大事な意味があるのか」「認知症にし魂を崩壊させることは、殺人行為に等しいのではないか」「認知症になったとしても断薬することの方が、患者の幸せにつながるのか」「認知症になった患者の、その後の人生はどうなるのか」など、しつこいほど質問をしておけばよかったと悔やまれてなりません。これらはきちんと確認すべき最重要事項でした。何故ならば「医師が患者の人生をどのように考えているか」ということは非常に大事なことであり、それにより患者の人生が大きく左右されるからです。不可避ならまだしも、人為的に認知症になるくらいなら、誰も減断薬など絶対にやらないと思います。どこに認知症になりたくて、わざわざ減薬する人がいるでしょうか。勿論、予後に対する詳細なインフォームドコンセントもありませんでした。なぜ、認知障害になってしまうのか原因が分かった今は、自分の不勉強を恨み、自責の念しかありません。全ては自分の詰めの甘さが招いた災禍です。